2010年 10月 09日
言われてうれしいほめ言葉は?
親に、どんな言葉でほめてもらったらうれしいですか?
どこを認めてもらったらうれしいですか?
こんなワークを、ヒーリングのワークショップが良く開かれていた頃、
何度も考えた気がします。
その頃、そこで、出て来たのは、
よく頑張ったね、
あなたのことを〇〇さんがほめてたよ、
私はあんたのことが自慢やの、
〇〇してくれて、すごく助かったわ
などでした。
でも本当はこんなこと言われてもちっともうれしくなかった。
でもこんなことしか浮かばなかった。
自分がわかっていなかったからですね、きっと。
これらは、その言葉の前に、
私の方が、母の好みと期待に合わせて、頑張ると言う行為があって、
やっともらえる言葉であり、
この言葉をもらえたら、まあ及第点だったのかな、
とほっとする、そんな感じだったと思います。
人は本当の自分を認められないと、いくら評価を受けても、
心からうれしく感じられないものですね。
時は流れ、
人の期待に応え、評価を得るために行動すると言うことが皆無になり
誰にどう思われるかもほとんど気にならなくなりました。
そんな今だからこそやってきたギフト?
それは、昨夜のこと、
親戚に、ちょっとしたショックな出来事があり、誰にも言えない母が、
一昨日、電話をしてきて、それでも足りずに、
昨夜も電話をしてきました。
私はいなかったので、次女が30分間話を聞いたそうです。
次女の報告では、
「結局おばあちゃんの周りでは、あんたのお母さんが一番温かいわ。
何かあったらなんでもお母さんに話や、お母さんの言うことに間違いはないわ」
って言ってたよって。
びっくりです。
びっくりには二つあって、
①ものすごく喜んでいる自分を感じて、
温かいって言われたかったんだ~ってビックリしたこと。
②もうひとつは、母が「温かい」と言うことに価値を見出したこと。
社会一般では温かいとか親切とか言う行為を私がした場合、
お人よしだとか、いつも損ばかりしてる、
とよく怒られました。
友人のお父さんがが亡くなった時に、ずっと付いていたり
お通夜にもお葬式にも行ったりすると、
そこまでするほど、どんな世話になったというのか、
と怒っていて、常識を書き換えられるくらい迫力があるので、
何も言えず、できるだけ、そういったことはやめよう、
と思ってしまったのでした。
私の生活に、母の目が届かなくなってからは、
自分がしたいように人のことが思えて動けるので、
そこにすごく自由を感じました。
でも、私の温かさは偽善じゃないかと、そういうことも気になりつつ、
その自由を満喫しました。
いろんな考えや、時を経て、今は、
この行為、この方の自立を邪魔してないかな、
私よりふさわしい人の役割を取ってないかな、
いい人って思われたくてしてないかな?
っと一瞬のうちにですが、確認して行動するようになってきています。
だからお人よしと言う感じではなくなったのかな?
真の温かさが出てきて、母にも伝わったのかな?
だったら本当にうれしいです。
こんなこと、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
どこを認めてもらったらうれしいですか?
こんなワークを、ヒーリングのワークショップが良く開かれていた頃、
何度も考えた気がします。
その頃、そこで、出て来たのは、
よく頑張ったね、
あなたのことを〇〇さんがほめてたよ、
私はあんたのことが自慢やの、
〇〇してくれて、すごく助かったわ
などでした。
でも本当はこんなこと言われてもちっともうれしくなかった。
でもこんなことしか浮かばなかった。
自分がわかっていなかったからですね、きっと。
これらは、その言葉の前に、
私の方が、母の好みと期待に合わせて、頑張ると言う行為があって、
やっともらえる言葉であり、
この言葉をもらえたら、まあ及第点だったのかな、
とほっとする、そんな感じだったと思います。
人は本当の自分を認められないと、いくら評価を受けても、
心からうれしく感じられないものですね。
時は流れ、
人の期待に応え、評価を得るために行動すると言うことが皆無になり
誰にどう思われるかもほとんど気にならなくなりました。
そんな今だからこそやってきたギフト?
それは、昨夜のこと、
親戚に、ちょっとしたショックな出来事があり、誰にも言えない母が、
一昨日、電話をしてきて、それでも足りずに、
昨夜も電話をしてきました。
私はいなかったので、次女が30分間話を聞いたそうです。
次女の報告では、
「結局おばあちゃんの周りでは、あんたのお母さんが一番温かいわ。
何かあったらなんでもお母さんに話や、お母さんの言うことに間違いはないわ」
って言ってたよって。
びっくりです。
びっくりには二つあって、
①ものすごく喜んでいる自分を感じて、
温かいって言われたかったんだ~ってビックリしたこと。
②もうひとつは、母が「温かい」と言うことに価値を見出したこと。
社会一般では温かいとか親切とか言う行為を私がした場合、
お人よしだとか、いつも損ばかりしてる、
とよく怒られました。
友人のお父さんがが亡くなった時に、ずっと付いていたり
お通夜にもお葬式にも行ったりすると、
そこまでするほど、どんな世話になったというのか、
と怒っていて、常識を書き換えられるくらい迫力があるので、
何も言えず、できるだけ、そういったことはやめよう、
と思ってしまったのでした。
私の生活に、母の目が届かなくなってからは、
自分がしたいように人のことが思えて動けるので、
そこにすごく自由を感じました。
でも、私の温かさは偽善じゃないかと、そういうことも気になりつつ、
その自由を満喫しました。
いろんな考えや、時を経て、今は、
この行為、この方の自立を邪魔してないかな、
私よりふさわしい人の役割を取ってないかな、
いい人って思われたくてしてないかな?
っと一瞬のうちにですが、確認して行動するようになってきています。
だからお人よしと言う感じではなくなったのかな?
真の温かさが出てきて、母にも伝わったのかな?
だったら本当にうれしいです。
こんなこと、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
by chori-k11
| 2010-10-09 23:56
| 大事なこと